「国会議員は何をしているのか分からない」
「選挙のときだけ頭を下げ、当選したら何もしない」
議員の歳費や手当が話題になるたび、このような批判が出ます。高い報酬を受け取る以上、仕事を国民に説明する責任がある。それは当然です。
しかし、ここで一度、議員の側から見える損得を考えてみます。
新しい政策を提案すれば、与党議員なら野党から、野党議員なら与党から異議が出ます。発言の一部が報道やSNSで切り取られ、意図と違う形で広がることもあります。政策が成功しても成果は党、内閣、官僚、自治体など多くの主体に分配されますが、失言や失敗は発言した本人の名前とともに残ります。
しかも、その記録は次の選挙で使われます。
そうであれば、地盤が固まっていない議員ほど、任期を全うすることに専念し、目立つ働きをしない方が合理的なのではないか。無難な働きしかしない結果、国民には仕事が見えず、高い報酬だけが目立つのではないか。
これは、以前の対話で私自身が持った疑問です。
政治家が萎縮しているとすれば、誰が足を引っ張っているのか。そして、その構造は本当に国益にかなっているのか。
本稿は「すべての議員が保身しか考えていない」と断定するものではありません。個々の内心は外から測れず、目立たない議員が仕事をしていないとも限りません。
考えたいのは、誠実な人が議員になっても、無難さを選ぶ方が得になり得る制度の構造です。
国会議員の仕事は、もともと見えにくい
国会の仕事は、テレビ中継される本会議や予算委員会だけではありません。
参議院の制度説明によれば、国会は法律の制定、予算の議決と決算の審議、条約の承認、総理大臣の指名、国政調査などを担います。法律案は原則として、少人数の委員会で専門的に審査された後、本会議へ進み、もう一方の議院でも同様の過程を経ます。法律ができるまでを見ると、一人の議員が発案してから法律として社会を動かすまでには、多数の人による修正、合意、採決が必要だと分かります。
実際の仕事には、次のようなものがあります。
- 法案や修正案を作る
- 委員会で政府へ質問する
- 党内で政策案を調整する
- 他党や関係団体と合意点を探る
- 省庁から資料を取り、制度の問題を調べる
- 地元の要望を国政へつなぐ
- 予算と決算を検証する
このうち、最も重要なのに外から見えにくいのが「調整」です。
対立する利害を調整し、反対していた人の一部を説得し、法案の文言を一行変える。その結果、大きな事故が起きなかったとしても、「何も起きなかった」という成果は記事になりません。合意を成立させた人が一人ではないため、誰の功績かも決めにくい。
反対に、国会で強い言葉を使えば、一日のうちに名前と映像が広がります。
議員の実質的な仕事は共同作業であるのに、失敗の評価は個人競技になりやすい。
このずれが、最初の問題です。
成果は薄まり、反発は集中する
政策を動かした議員が受け取る利益と損失は、対称ではありません。
ある議員が、長年放置されてきた制度の改革を提案したとします。実現には党内了承、与野党協議、官僚による法制化、業界や自治体との調整が必要です。成立すれば、政府や党の実績として発表されます。効果が出るのは数年後かもしれません。
一方、改革で不利益を受ける人は、今すぐ分かります。
- 補助金が減る業界
- 権限や予算を失う組織
- 負担が増える世代や地域
- 反対を示すことで支持を固められる政党
- 対立が生まれるほど注目を得やすい発信者
利益を受ける人が広く薄く存在し、損失を受ける人が狭く強く反発するなら、改革を提案した議員のもとには感謝より先に抗議が届きます。
政策の効果が不確実であれば、さらに不利です。成功した場合は「状況が良かった」「政府全体の成果」と見なされ、失敗した場合は「この議員が推進した」と名指しされる。
これは政治に限りません。悪意なき保身で見たように、組織では、行動しない損失が全体へ薄く広がる一方、行動した人の失敗は本人に集中します。政治は、この構造に選挙という期限と公開性が加わったものです。
地盤の弱い議員ほど、無難さが合理的になる
ここでいう「合理的」とは、立派だという意味ではありません。本人が再選を目指すという前提に立ったとき、損得が合うという意味です。
議員が目立つ政策を進めるかどうかを、単純化して考えてみます。
行動する利益
- 政策を実現できる
- 実績として認知される
- 支持者の期待に応えられる
- 党内で存在感を高められる
行動する費用
- 反対勢力を結集させる
- 党内の公認や役職で不利益を受ける
- 発言を誤解・切り取りされる
- 政策失敗の責任を負う
- 次の選挙で攻撃材料を与える
強い後援会、知名度、安全な選挙区、党内基盤を持つ議員は、一度の批判に耐えられます。地盤の弱い議員は、小さな失点でも落選につながり得ます。同じ政策を提案しても、背負う危険の大きさが違うのです。
海外の研究を日本へそのまま当てはめることはできませんが、この仮説と整合する知見はあります。米国上院を分析したDavid R. Jonesの研究は、議員が点呼投票で立場を示さないことは無作為ではなく、選挙上の接戦度や有権者の意見の多様性などと関連すると報告しました。また、カリフォルニア州議会の自然実験を用いたKousserらの研究では、強い選挙シグナルの後、とくに競争的な選挙区の議員が投票行動を穏健化していました。
これらは「弱い議員は必ず仕事をしない」という証明ではありません。むしろ、選挙で脅かされた議員ほど有権者に反応するという、民主主義の正常な働きとも読めます。
問題は、その反応が長期的な国益より、次の選挙までの失点回避へ偏る場合です。
選挙は国益ではなく「相対的な生存」を判定する
選挙は、すべての政策の長期効果を測る試験ではありません。限られた候補者の中から、一定時点で代表を選ぶ仕組みです。
議員は、国全体にとって最善だったかだけでなく、対立候補より多く票を得たかで生き残ります。
たとえば、十年後に大きな利益を生むが、今すぐ一部の有権者に負担を求める政策があるとします。その政策を実行した議員が次の選挙で落ち、反対した議員が当選すれば、長期的な成果が判明したとき、実行者はもう議席にいません。
反対する側にも合理性があります。与党案の欠陥を明らかにするのは野党の重要な役割です。野党案を検証するのも与党の責任です。批判のない政治は、萎縮しない政治ではなく、権力を監視できない政治です。
それでも、相手の提案に部分的な価値を認めるより、失敗を強く攻撃した方が次の選挙に有利なら、政策の検証は「相手に点を与えない競争」へ変わります。
国益は長期の絶対評価ですが、選挙は短期の相対評価です。この二つは、自然には一致しません。
メディアとSNSは、萎縮を増幅するのか
目立つ発言が危険になるには、反対が広く伝わる必要があります。ここでメディアとSNSが関わります。
SNS上の政治的な投稿を調べたBradyらの研究は、道徳と感情を組み合わせた言葉が一語増えるごとに、その投稿の拡散が約20%増える関連を報告しました。効果は異なる政治集団の間より、同じ集団の内部で強く現れました。
これは米国のTwitter上の特定論点を調べた観察研究であり、日本の政治報道全体を説明するものではありません。それでも、丁寧な制度説明より、「許せない」「無責任だ」「裏切りだ」という道徳的・感情的な評価の方が、同じ立場の人の間で広がりやすい可能性を示します。
メディアだけを悪者にすることもできません。公務員のボーナス報道で考えたように、媒体には短時間で理解でき、読者の関心を集める出来事を選ぶ誘因があります。そして、私たち自身が、長い合意形成の記録より短い失言映像を見て、共有しています。
政治家の発信も無垢ではありません。支持を集めるため、あえて敵を作り、怒りを動員する人もいます。「目立つ仕事」が政策実現ではなく、対立の演出である場合もあります。
したがって、目立つ議員を評価すれば解決するわけでも、目立たない議員を擁護すればよいわけでもありません。
誰が足を引っ張っているのか
最初の問いに戻ります。誰が国会議員の行動を萎縮させているのでしょうか。
答えを一人に絞ることはできません。
- 相手の失敗を選挙で利用する与党・野党
- 公認、比例名簿、役職を通じて議員を統制する政党
- 対立と失言を大きく扱うメディア
- 怒りを短時間で増幅するSNSの仕組み
- 既得権を守るため集中的に働きかける業界や団体
- 政策の経緯より印象で候補を選ぶ有権者
- 実績を分かりやすく説明できない議員本人
それぞれは、自分の立場では合理的に動いています。
野党は政権を監視し、メディアは読まれるニュースを作り、団体は構成員の利益を守り、有権者は限られた時間で判断する。議員は落選を避けようとする。
誰かが国家を弱くしようという悪意を持たなくても、その合計として、挑戦する議員ほど傷つき、無難な議員ほど生き残る構造が生まれ得ます。
これは、政治における「悪意なき保身」です。
では、安全な議席を増やせばよいのか
議員が落選を恐れることが問題なら、選挙で脅かされないようにすればよい。そう考えることもできます。
しかし、安全すぎる議席は別の問題を生みます。有権者の声を聞かなくても再選でき、党内や支援団体だけを見て行動する議員が増えるかもしれません。選挙の競争は、政治家を萎縮させると同時に、国民へ応答させる仕組みでもあります。
必要なのは、競争をなくすことではありません。
挑戦したこと自体ではなく、判断の質と結果で競争できるようにすることです。
挑戦と修正を評価できる政治へ
政治家へ「勇気を持て」と言うだけでは、損得の構造は変わりません。変えるべきなのは、行動を評価する側の情報と習慣です。
仕事を、発言回数だけで測らない
質問回数、議員立法数、国会出席率は有用な情報ですが、それだけで仕事の質は測れません。法案の内容、修正への貢献、政府答弁を変えたか、決算で問題を発見したか、その後に制度が改善したかまで追う必要があります。
政策の予測と結果を、時間をまたいで記録する
選挙公約を一覧にするだけでなく、政策の目的、想定した費用、反対論への回答、実施後の結果を同じ場所で追えるようにする。成功も失敗も、誰が最初に言ったかではなく、どの仮説がどこまで正しかったかで評価します。
小さく試し、撤退できる制度を増やす
地域や期間を限定した試行、期限が来れば見直すサンセット条項、第三者による事後評価を使えば、政策を「一度決めたら永遠に守るもの」から「検証して直すもの」へ変えられます。
方針転換と、ごまかしを区別する
新しい証拠を受けて意見を変えることは、無節操とは限りません。過去の主張を隠すこと、説明なく都合よく変えることと、誤りを認め理由を示して修正することを区別する必要があります。
政党も、異論を出した議員を守る
党として決定した後に一定の規律が必要な場面はあります。それでも、決定前の政策論争まで封じれば、議員は公認を失わないことを最優先します。異論を記録し、採用しなかった理由も示す方が、政策の質を高めます。
メディアと有権者が、経緯を評価する
失言だけでなく、その政策で誰が利益を得て誰が負担するのか、代案は何か、半年後と数年後に結果はどうなったかを追う。政治家だけに説明責任を求めるのではなく、評価する側も前年の判断を更新します。
おわりに――政治家は、私たちが作った合理性の中で動く
国会議員の仕事が見えないのは、怠慢だけが理由ではありません。
法律と予算は共同で作られるため、成果は多くの主体へ分散します。一方、目立つ発言への反発、党内での不利益、政策失敗の責任は個人へ集中します。地盤の弱い議員ほど、その危険を避け、任期を全うする方が合理的になり得ます。
だからといって、議員の保身を免責することはできません。高い権限と報酬を受け取る以上、困難な判断を引き受け、仕事を説明する責任があります。
同時に、「もっと目立って働け」と求めた直後、少しでも異論のある提案をした議員を失言の一場面だけで退場させるなら、私たちは相反する命令を出しています。
政治家が何もしないように見えるとき、政治家だけを見ても答えは出ない。何をすれば評価され、何をすれば落選するのかを決めている、私たち自身の制度と反応を見る必要がある。
誰が足を引っ張っているのか。
政党、対立陣営、メディア、SNS、業界、有権者、そして議員本人。その全員が、少しずつ綱を引いています。
問うべきなのは、誰か一人を悪者にできるかではありません。個々には合理的な行動の合計が、国全体にとって合理的な結果を生んでいるかです。
挑戦した人が必ず報われる政治は作れません。しかし、失敗を隠した人より、根拠を示して試し、結果を公開し、誤りを修正した人を評価する政治には近づけます。
そのとき初めて、議員に「目立つ仕事をせよ」と求める言葉が、単なる危険の押しつけではなくなるのだと思います。
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