前回では、若い人口、技術導入、設備投資、所得上昇が相互に強め合った「増えていく日本」を見ました。しかし、成長期に築かれた仕組みは、バブル崩壊によって前提を失います。
第二回では、日本が何もせず停滞したのではなく、失うものを小さくしようとした結果として、安定と停滞を同時につくった過程を考えます。
「失われた30年」は、何もしなかった時代ではない。既存の企業、雇用、金融、生活を守ろうとした時代でもあった。
資産価格は下がったが、債務は残った
バブルが崩壊すると、土地と株式の価格は下落しました。しかし、借金の額は自動的には減りません。
企業は投資より債務返済を優先し、金融機関は不良債権を抱えました。担保価値が下がり、融資先の選別が厳しくなります。家計も雇用と将来に不安を感じ、消費に慎重になります。
本来、ある主体の支出は別の主体の所得です。企業が一斉に投資を抑え、家計が一斉に消費を抑えれば、社会全体の需要が弱くなります。需要が弱いから企業はさらに投資せず、賃金も上げにくくなる。
一つひとつは合理的な防御ですが、全体では停滞を長引かせます。
「悪意なき保身」という均衡
この構造は、別稿の「悪意なき保身」で詳しく考えました。
企業は倒産を避けるため、現金を厚くし、投資と人件費を抑える。銀行は損失を避けるため、新規融資に慎重になる一方、既存の問題先を急に処理できない。家計は老後と雇用の不安から支出を控える。労働者と労働組合は、大幅な賃上げより雇用維持を優先する。政策担当者は、倒産、失業、金融危機を防ぐため、急激な制度変更を避ける。
誰も日本を停滞させようとしていません。それでも、全員が現在の損失を避けようとすると、新しい投資、参入、移動、賃上げが起こりにくくなります。
内閣府の2025年の分析も、デフレ下で企業が債務削減、内部留保、コスト削減を進めたことは個社には合理的だった一方、国全体では投資、総需要、生産性を抑制したと整理しています。
「失われた30年」は、何もしなかった30年ではありません。危機を回避し、既存の雇用、企業、金融、社会保障を守ろうとした30年でした。その守り方が、次の成長に必要な資源移動まで弱めたのです。
1973年生まれの人生――上昇の記憶と停滞の現実
第二次ベビーブームは1971年から1974年ごろです。1973年生まれの一人は、幼少期を成長と消費拡大の空気の中で過ごします。
高校を卒業する1991年前後は、ちょうどバブル崩壊期です。大学へ進めば、就職活動は1990年代半ばになります。子どもの頃に見た「普通の人生」を目指して社会へ出たとき、その前提が崩れ始めていました。
企業は新卒採用を抑え、非正規雇用が増えます。正社員として入れた人も、賃金上昇の鈍化、長時間労働、組織再編を経験します。住宅、結婚、子育てという標準モデルは残りましたが、それを支える所得の見通しは弱くなりました。
この世代の特徴は、貧しい時代しか知らないことではありません。上昇する社会を子どもとして知り、その約束が弱くなった後を大人として生きたことです。
そのため、現在を過去と比較し、「本来はもっと上がるはずだった」という喪失感を持ちやすい一方、長い停滞に適応して、安定と損失回避を重視する傾向も理解できます。
雇用を守った代わりに、機会を外へ移した
日本は、大量失業による急激な社会崩壊を一定程度避けました。これは重要な成果です。
しかし、調整費用が消えたわけではありません。
既存正社員の雇用を守る一方、新卒採用を減らす。正規雇用の賃金を急に下げない代わりに、非正規雇用を増やす。既存企業を支える一方、新規企業への資金と人材の移動が弱くなる。
費用は、失業率という一つの数字に現れる代わりに、若年層の機会、非正規雇用の処遇、昇進の遅れ、出生数の減少などへ分散しました。
誰か一人が意図的に若者へ負担を押しつけたのではありません。しかし、現在の安定を守る制度は、その外側にいる人へ調整を移しやすいという構造を持ちます。
金融・財政政策は何をしたのか
日本銀行はゼロ金利、量的緩和、大規模な国債買入れ、マイナス金利、長短金利操作などを段階的に導入しました。政府も公共事業、給付、雇用対策、金融支援を行いました。
これらは、金融危機、デフレの深刻化、失業、需要崩壊を防ぐうえで重要でした。一方で、金融・財政政策だけで、人口構造、企業統治、労働移動、教育、人材投資、サービス産業の生産性を直接変えられるわけではありません。
景気を下支えする政策と、社会の供給構造を変える政策は、役割が違います。前者に後者の成果まで求めれば「何も効かなかった」と見え、後者の遅れを金融政策だけの責任にしてしまいます。
失われた時代にも、得たものはある
長期停滞を論じるとき、成長率だけで30年を空白にするべきではありません。
失業と倒産の急増を抑え、治安、医療、交通、上下水道などの社会基盤を維持しました。省エネルギー、安全性、製品品質、平均寿命など、日本が高い水準を保った分野もあります。女性や高齢者の就業も増え、インターネットとデジタル技術は生活を変えました。
ただし、維持できたことと、次世代へ十分な選択肢を残せたことは別です。停滞の評価には、守ったものと、守るために失った機会の双方を含める必要があります。
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